副料理長は2番目に偉い

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アニメの独裁者キャラに必要な2つの条件

アニメにおいてキャラクターが視聴者に独裁者として受け入れられるにはどのような表現が必要になるのか?

その答えに近いヒントが書かれている本を最近見つけました。

それは内田樹氏の 「寝ながら学べる構造主義」です。

https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/41XEPVMR1ML._SX298_BO1,204,203,200_.jpg

「寝ながら学べる構造主義」から学ぶ独裁者のキャラに必要な2つの条件

この本の中における次の文章がそのヒントの部分となります。

人々が独裁者を恐れるのは、彼が「権力を持っているから」ではありません。そうではなく、「権力をどのような基準で行使するのか予測できないから」なのです。延臣たちのうち誰が次に寵を失って死刑になるか、それが誰にも予測できないときに権力者は真に畏怖されます。

内田樹氏著「寝ながら学べる構造主義

皆さんはこの文章をどう感じたでしょうか?私は次のような感想を抱きました。

あるキャラクターがストーリーの中で独裁者として受け入れられるには次の2つが必要なのかもしれない。

Ⅰ:権力者であること
Ⅱ:Ⅰを満たした状態で(少なくとも読者・視聴者から見て)基準が分からない権力の行使を行う

※後述しますがⅠを満たした状態でⅡを満たした時(シーン)が独裁者のキャラクターの誕生する瞬間となります。

このような感想です。

もちろん、これが確実な答えだと断言することはできません。が、クリエイターの人には大きなヒントになるのではなるのではないかと思います。

宇宙戦艦ヤマト2199」のアドルフ・デスラーは独裁者か?

さて、話は変わりますが、私が物語における独裁者として真っ先にイメージするのは「宇宙戦艦ヤマト2199」のアベルト・デスラー総統です。


ガミラス帝星を統べる総統。拡大政策を行い、大小マゼラン銀河を統一し、天の川銀河へと進出していくが、その本意は別にある。

宇宙戦艦ヤマト2199 - Wikipedia

このデスラーは上の2つの条件を満たしているのかについて次に考えたみたいと思います。

まずⅠの権力者であることについては「大ガミラス帝星を統べる総統」という設定でクリアしているでしょう。問題はⅡです。

果たして、デスラーⅠを満たした状態で(少なくとも読者・視聴者から見て)基準が分からない権力の行使を行ったことがあるのか?ここがあるかないかが問題です。

で、色々「宇宙戦艦ヤマト2199」のシーンを思い出していたらありました。それはデスラーが宴(?)の音頭を取っているシーンです。

デスラーが皮肉を込めて「テロン人の健闘を祈って乾杯しようぜ!」と言った矢先に、酔って調子に乗った部下が「罠にかけて健闘を祈るとか面白すぎ。総統も相当冗談が好きですな。」という、すぐにでも左遷されそうな冗談を言ってしまいます。

さて、これをデスラーはどうしたかというと「お前みたいな下品な男は我がガミラスに要らねぇわ」と言って、謎の特殊装置を使ってその部下を宇宙へ放り出してしまいます。

別に部下は悪気があって冗談を言ったのではありません。またガミラスの法律を犯したわけでもありません。(多分)

でも「不快だわあいつ」という感想の下にデスラーは部下を殺したのです。これはどう観ても❷の:Ⅰを満たした状態で(少なくとも読者・視聴者から見て)基準が分からない権力の行使を行うを満たした行動だと言えるでしょう。

このシーンをどうとるかは人によります。が、私はこのシーンこそがデスラーの独裁者としてのイメージを視聴者へ決定的に植え付けたシーンだと思います。

そこで私個人の自己満ではありますが、自分の中の表現論の1つとして、以下のような結論を付けたいと思います。

あるキャラクターがⅠを満たした状態でⅡを満たした時、そのキャラクターは独裁者としての視聴者に受け入れられる

というわけで以上。自身の今後のクリエイターとしての活動に活かしていきたいと思います。

まとめ

まぁ信じるも信じないもあなた次第。