副料理長は2番目に偉い

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承認欲求と成長に縛られて10年を無駄にした

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とうとうアラサーになってしまった2017年。

これまでの人生を振り返ると承認欲求と成長に縛られた無駄な10年でした。

簡単に振り返るとこんな感じ。

2008年 良い大学に入りたくて嫌な受験勉強を開始
2009年 大学受験失敗(合格校0)&浪人生活で嫌な受験勉強を継続
2010年 私立の最難関の大学に入学するも学部・学科の勉強が好きになれない毎日を過ごす
2013年 就職活動に失敗
2014年 就職留年をしてようやく内定を貰う
2015年 有名な大手企業に新卒入社
2017年 起業を決意し退職&実家のある田舎へ移住

そして田舎に移住してから約半年が経ちましたが、最近「起業は自分のしたいことではなかった」と気づきました。なので起業を諦めてしまいました。(正確に言うと法人設立のことです)

以上の事を踏まえ、この10年という期間の対価として今の自分に何が残っているのかと考えると、ほぼ何も残っていません。

それを踏まえると「まぁ随分と無駄な10年を過ごしてしまったなぁ」と思ってしまうのです。

なぜ無駄にしてしまったのか?

まぁ入社した有名大手企業でそのまま働いていれば、その企業に勤めているが故の恩恵は私の手の中に残っていたでしょう。

しかし私は自らの意志で会社を辞めて、起業をするために実家のある田舎に移住することでそれを放棄する選択をしたのです。

そのことも含めて「何故この10年で何も残らなかったのか?」というテーマを掲げると私の10年間を無駄にした犯人が浮かび上がってきました。それは承認欲求に根差す成長という呪縛の言葉です

成長という幻想

しかし、この記事で私が使っている”成長”という言葉は本来の意味とは異なります。というのも私が"成長"という言葉に対してある種の幻想を抱いていたからです。

だから以降を書いていくためには私が見ていた幻想の成長の意味(定義)を明らかにしておく必要性があります。

本来の成長

(人・動植物が)育って、大きくなること。一人前に成熟すること。大人になること。

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私の幻想である成長

“自分が優れている”ことを示すことができる(と自分が思っている)客観的な証明が可能な何かを持つこと

これが成長の本来の意味と私の幻想の成長の意味との違いです。それぞれ全く異なる意味ですが、何故か私は幻想の意味の方で捉えていました。

承認欲求の果てに

私立の最難関大学に入学したのも、有名な大手企業に入社したのも、“自分が優れている”ことを示すことができる(と自分が思っている)客観的な証明である高学歴や有名大手企業勤務といった肩書(証明)を得ることを欲したからです

それがただの承認欲求だということには気づいていました。自分の好きなことはもっと他にあることも気づいていました。でも成長という言葉で自分を騙して承認欲求を満たすために嫌いなことを選ぶ人生になっていたのがこの10年間です。

そんな自分を誤魔化し続けてきた代償としてスキルや得意がない限りなく透明に近い無職の私がいるのです。承認欲求が見せる幻想に踊らされた意識の高すぎる人間にならなように皆さんお気を付け下さい。

まとめ

意識高い系は自問自答することを推薦します。

PS最近、ようやく自分が本当に好きなこと&一生追い続けられる仕事への第一歩は踏み出せた気がします。仕事が決まって慣れてきた頃にまた書きます。