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映画「第三の男」をバランス理論で読み解く

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先日、映画「第三の男」を鑑賞しました。

[作品解説]
『第三の男』(だいさんのおとこ、原題: The Third Man)は、1949年製作のイギリス映画。キャロル・リード監督作品。第二次世界大戦直後のウィーンを舞台にしたフィルム・ノワール。(略) 現在では映画史に残る傑作として、高く評価されている。映画ベスト100などの企画で、必ずと言っていいほど名前が挙げられる常連作品である。

[あらすじ]
アメリカの売れない西部劇作家ホリー・マーチンスは、親友ハリー・ライムから仕事を依頼したいと誘われ、意気揚々とウィーンにやって来た。ライムの家を訪ねるマーチンスだが、門衛はライムが前日、自動車事故で死亡したと彼に告げる。ライムの葬儀に出席するマーチンスは、そこでイギリス軍のキャロウェイ少佐と知り合う。少佐はライムが闇取引をしていた悪人だと告げるが、信じられないマーチンスはライムへの友情から事件の真相究明を決意する。

第三の男 - Wikipedia

正直、エンタメ作品としては面白くはなかったです。ファンの皆様すいません。でもクリエイターとしては勉強になる作品でした。

というのもこの作品を通してバランス理論が物語の創造において非常に重要なツールとなり得ることが理解できたからです

バランス理論とは

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バランス理論とは心理学の理論です

バランス理論は、P-O-Xモデルを用いて説明される[1]。

認知の主体である人を「P」、「P」と関係のある他者を「O」、認知の対象である事物を「X」と置く。「P」の「O」に対する認識、「P」の「X」に対する認識、そして「O」の「X」に対する認識の中で、好意的な物を「+」、否定的な物を「-」で表す。

「P」→「O」、「P」→「X」、「O」→「X」の3つの認識が全て良好である(全て「+」)場合や、3つの認識の中で好意的なもの(「+」)が1つのみであり、残り2つは否定的な(「-」)場合といった、3つの認識の符号の積が正である時、認知体系は均衡がとれているとする。一方で、3つの認識が全て「-」で表せる場合や、3つの認識の中で好意的なもの(「+」)が2つ、残り1つは否定的な(「-」)場合といった、3つの認識の符号の積が負である時、認知体系は不均衡であるとする。

認知の主体である「P」は、認知体系が不均衡である時、不快感を覚える。そのため、「P」は認知体系の不均衡を解消するために、「O」に対する認識、「X」に対する認識、「O」の「X」に対する認識のいずれかを変更しようとする。例えば、「P」→「O」と「P」→「X」が好意的、「O」→「X」が否定的である時、「P」は、他者「O」または事物「X」に否定的な認識を持つようになったり、「O」の「X」に対する認識を改めさせるよう働きかけたりする。どの方策が採用されるかについては、少ないコストで変化させやすいものが選ばれることが多い[2]。

wikipedia「バランス理論」より引用

ザックリ解説するとこんな感じです。

次の3つの認識について好意的なものをプラス、否定的なものをマイナスとする。

PさんのOさんに対する認識
OさんのXに対する認識
PさんのXに対する認識

この3つの認識の積がプラスならバランスが取れている状態。マイナスならバランスが取れていない状態。マイナスの場合は何れかの認識が変更されてプラスになるように働く。

「第三の男」におけるバランス理論

映画「第三の男」ではこのバランス理論が上手く導入されています。

※ネタバレがあるので要注意(実際に鑑賞してから読むことを推奨します)







映画の序盤では主人公ホリー・マーチンスはハリー・ライムという人物を親友として好意的に認識しています。そしてハリー・ライムの恋人であるアンナ・シュミットもまたハリー・ライムを好意的に認識しています。

そしてアンナ・シュミットはホリー・マーチンスに対しても好意的な認識を抱いています。つまりこの時点ではバランス理論上ではバランスが取れた状態となっています。(ホリー・マーチンスをO、アンナ・シュミットをP、ハリー・ライムをXとする)

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しかし、やがてホリー・マーチンスはハリー・ライムが悪人であることを確信。ハリー・ライム逮捕の為に軍に助力し、最後はハリー・ライムを殺害します。

殺害するくらいですからホリー・マーチンスのハリー・ライムへの認識はその時点ではマイナスに変わっているはずです。すると3者間のバランスは崩壊していることになり、何れかの認識が変更されることでバランスは自らを保とうとします。

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そして作中では次のような形でバランスが保たれることになります。

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そう、アンナシュミットのホリー・マーチンスに対する認識が好意的なものから否定的なものになるのです。その証拠に映画のラストシーンは次のような形で締めくくられます。

改めてこの“第三の男”の埋葬が行われた日、マーチンスは墓地の路傍でアンナを待つが、彼女は表情をかたくしたまま一瞥もせず彼の前を歩み去って行く。

wikipedia「第三の男」より引用

明らかにガン無視を決め込んでいる以上、アンナシュミットがホリー・マーチンスに好意的な認識を抱いているはずがありません。むしろ「マジであいつ嫌い」という否定的認識になっていると言えるでしょう。

このように「第三の男」はバランス理論通りに人が描かれており、かつ映画史に残る傑作とされている作品です。

この作品が脚本家をはじめとするクリエイターの勉強にならないはずがありません。

「第三の男」が教えてくれること

これは少し蛇足的な話ですが、私が「第三の男」を鑑賞して感じたテーマは「人間の好き嫌いという認識の脆さ」だと思います。私はこの映画のラストシーンを観て人の人に対する好き嫌いというものは第三者(或いは物)への認識を通して変遷しうる脆くて儚いものだと思いました

バランス理論というのはそれを抽象化したものだと思います。そして人の好き嫌いが脆くて儚いものであるからこそ物語における決別・すれ違い・葛藤などの感動のファクターは存在し得るのだとも思います。

バランス理論を上手く活用したキャラクターの心理の変化やその変化によって巻き起こる事象が感動へと繋がっていくのかもしれないなぁと思うのです。

と、締まりの無い文章だけど今回はここまで。