副料理長は2番目に偉い

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アニメ「鋼の錬金術師FA」を文学理論で分析したら面白さの理由が見えてきた

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先日、アニメ「鋼の錬金術師 FA」全64話を鑑賞しました。いやぁ面白かったです。「どうせ子供アニメだろ乙」と構えていたんですけどね。

キャラクターも世界観もストーリーも作画もBGMもほぼ全ての要素がパーフェクトなアニメで、最終話終了時点ではすっかり鋼の錬金術師というコンテンツの虜になっていました。

あともうお亡くなりになっていますが家弓家正さんの迫真の演技も終生忘れないほど感動しました。

今私はこのアニメ「鋼の錬金術師 FA」に感動した記念として記事を書いているのですが、「鋼の錬金術師 FAが面白いww」とか「鋼の錬金術師 FAが面白い理由3選」とかのタイトルで書いてもきっとそんな記事は検索エンジンに溢れていると思います。

なので少しだけ視点を変え、文学学士なりに文学理論で「鋼の錬金術師 FA」という作品を分析してみました。

今回はその結果について書いてみようと思います。

昔話の形態学とは

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昔のロシアの学者さんにウラジーミル・プロップという人がいます。この人は自著「昔話の形態学」の中で次のようなことをしました。

プロップは,アファナーシエフAleksandr Nikolaevich Afanas’ev(1826‐71)が〈魔法昔話〉と分類した100話について構造を分析し,個々の行為とそれが話のすじの展開に対してもつ意義とを区別し,後者を機能とよんだ。そしてプロップによれば,魔法昔話には全体として31の機能があり,その順序は一定で,もし何かの機能が欠落しても全体の順序は不変であるという。…

こちらから引用

kotobank.jp


この31の機能は次の通りとなっています。

昔話の構造31の機能分類

1.家族の成員のひとりが家を留守にする(留守)
2.主人公に禁を課す(禁止)
3.禁が破られる(違反)
4.敵対者が探り出そうとする(探り出し)
5.犠牲者に関する情報が敵対者に伝わる(情報漏洩)
6.敵は犠牲となる者なりその持ち物なりを手に入れようとして、犠牲となる者をだまそうとする(謀略)
7.犠牲となる者は欺かれ、そのことによって心ならずも敵対者を助ける(幇助)
8.敵対者が、家族の成員のひとりに害を加えるなり損傷を与えるなりする(加害)
※8が無い場合は8-aから始まる。
8-a.家族の成員のひとりに、何かが欠けている。その者が何かを手に入れたいと思う(欠如)
9.被害なり欠如なりが[主人公に]知らされ、主人公に頼むなり命令するなりして主人公を派遣したり出立を許したりする。(仲介)

10.探索者の主人公が、対向する行動に出ることに同意するか、対抗する行動に出ることを決意する。(対抗開始)
11.主人公が家を後にする(出立)
12.主人公が[贈与者によって]試され、訊ねられ、攻撃されたりする。そのことによって、主人公が呪具なり助手なりを手に入れる下準備がなされる。(贈与者の第一機能)
13.主人公が、贈与者となるはずの者の働きかけに反応する(主人公の反応)
14.呪具[あるいは助手]が主人公の手に入る(呪具の贈与・獲得)
15.主人公は、探し求める対象のある場所へ、連れていかれる・送りとどけられる・案内される(二つの王の間の空間移動)
16.主人公と敵対者とが、直接闘う(闘い)
17.主人公に標がつけられる(標づけ)
18.敵対者が敗北する(勝利)
19.初めの不幸または欠落がとりのぞかれる(不幸・欠如の解消)
20.主人公は帰路につく(帰還)
21.主人公が追跡される(追跡)
22.主人公は追跡から救われる(救助)
23.主人公がそれと気付かれずに、家郷か、他国かに、到着する。(気付かれざる到着)
24.ニセの主人公が不当な要求をする(不当な要求)
25.主人公に難題が課される(難題)
26.難題を解決する(解決)
27.主人公が発見・認知される(発見・認知)
28.ニセ主人公あるいは敵対者[加害者]の正体が露見する(正体露見)
29.主人公に新たな姿形が与えられる(変身)
30.敵対者が罰せられる(処罰)
31.主人公は結婚し、即位する(結婚)

蓼沼正美「超入門!現代文学理論講座」(2015/11)より引用

鋼の錬金術師 FA」に当てはめてみる

さて今回は「鋼の錬金術師 FA」にこの31の機能が順序通り当てはめてみたいと思います。

ただ「超入門!現代文学理論講座」という本では大体の昔話は機能20で終わりを迎えるとのことです。そしてパッと見「鋼の錬金術師 FA」も20で終わりを迎えている可能性が高いので20まで当てはめてみることにします。

1.ホーエンハイムが家を留守にする
2.(禁止)についての描写は無し※ただし禁止されていることはある
3.エドとアルが錬金術の禁忌を犯す(人体錬成)
4.国家錬金術師の試験場でキングブラッドレイがエドに腕が何故オートメイルになっているのか尋ねる
5.国家錬金術師の試験場でエドが真理を見たものにしかできない手合わせ錬成をやってしまい、キングブラッドレイに人柱となれる人材であることがバレてしまう。
6.キングブラッドレイが国家錬金術師としてエドを認定する(人柱候補選抜という国家錬金術師制度の裏の顔を隠しての認定)
7.国家錬金術師となったことでエドは心ならずも悪事への加担者となってしまう。
8.なし
8-a.エドは腕、アルフォンスは身体が欠けており、それを回復させたいと思う。
9.なし
【補足】
9の描写は「鋼の錬金術師 FA」にはありません。が、「超入門!現代文学理論講座」には次のように書いてあります。

「いずれにしても、『主人公が家から出立する』ことで、物語が大きく動き始めることになります。つまり、物語が本題に入るための[仲介]あるいは[つなぎの段階]というわけです。」蓼沼正美「超入門!現代文学理論講座」(2015/11)より引用

その為、この9では出立の動機が既にあれば不要ということになります。その為「鋼の錬金術師 FA」ではわざわざ描かれなかった、というのが私の解釈です。

10.なし ※9同様にエドは既に身体を取り戻す決意を固めているので描かれていない
11.エドは賢者の石を求めて旅に出る
12.スカーがエドを攻撃する
13.エドがウィンリーを庇う
【補足】
13は直接14に繋がる行動ではありません。これ以外にも「お前は俺を裁く権利がある」的なことを言ったスカーに対して手当をしたウィンリーやスカーの質問に対して「いや、俺は内側から変えるから」的な回答をしたマイルズの影響も多分にあるでしょう。というかぶっちゃけマイルズやウィンリーの影響の方が大きいと思います。なのでこの13の「主人公が、贈与者となるはずの者の働きかけに反応する」についてはここでは〈主人公は〉ではなく〈主人公サイドの人は〉となります。
14.スカーが助手となる
【補足】
12~14の流れで助手となる・或いは入手できる呪具はスカーだけではないと思います(グリードとかも12~14に当てはまると思います)。が、ぶっちゃけそれらを洗いざらい出すのは超絶メンドイのでここでは分かりやすいスカーのみを書きました。
15.金歯の男によって人柱の1人としてお父様のところに連れていかれる
16.エドがお父様と闘う
17.なし
18.エドがお父様を倒す
19.エドとアルの身体が元に戻る
20.エドとアルが故郷に戻る

ざっとこんな感じになると思います。

まぁ私の裁量と解釈で当てはめているので何とも言いづらいところなのですが、かなり「鋼の錬金術師 FA」は31の機能を忠実になぞっているように見えます。

鋼の錬金術師 FA」はコンテンツの王道なのかもしれない

では「『鋼の錬金術師 FA』が31の機能をほぼ忠実になぞっているから何だって言うの?」ということが次に出てくるかと思います。次はその話をしていきましょう。

ところで私は「鋼の錬金術師 FA」がどのくらいヒットしたかは知りません。が、少なくも現代人の鑑賞に耐える作品であり、同じく現代人である私が面白いと思って鑑賞しきった作品であるのは間違いないでしょう。

私は文学学士であり大学4年生の時は江戸時代の文学を研究をしていました。しかし在学中は古典作品を心底面白いと思った経験が1回もありませんでした。

だから心のどこかで古典作品は研究対象にはなるが現代人が本気で面白いと思うものなど無いと決めつけていました。

そしてそこからさらに自論は展開され「文学作品は時代によって全く異質な存在になる。物語の基本構造さえ時代の需要に合わせてゆるやかに変質していく」という考えを持つようになっていました。

しかし「鋼の錬金術師 FA」はこの私のバイアスを壊してくれました。大昔の物語構造とほぼ変わらないストーリー構造をしているのにも関わらず私が「面白い!」と思い、かつ現代人の鑑賞の対象になる作品があることを体験として教えてくれたのです。

つまり物語の中には時代を超えても変わらない普遍の法則があるということを文字通り体得で得ることができました。これは非常に喜ばしいことです。まぁ文学学士になってから気づくなんて不勉強この上ないですな…(猛省)

そして同時にこうも思いました。こうした時代を貫く普遍の物語構造を内包していたことが「鋼の錬金術師 FA」の面白さに繋がっているのかもしれない。これはあくまで想像ですが、昔話として残るほどの作品というのはまぁ名作だと思うんです。

というのも残るものであるためには深く広く伝わる必要があるし、深く広く伝わるには良作であることが必要な条件になると思うからです。※あくまで想像です

そしてそんな残るものである昔話を研究し「31の機能がある!」と言い出したのはウラジーミル・プロップです。そしてその31の機能をほぼ忠実になぞっている「鋼の錬金術師 FA」。

こう考えると「鋼の錬金術師 FA」の面白さのキーの一つとして、この31の機能に忠実であったことがあると思われるのです。まぁ実際のところはよく分かりませんけどね。でもそんな気がします。

私は社会人になってからクリエイターとしてずっと生きているのですが、今回の収穫は大きかったと思います。

まとめ

まぁ実際のところは良く分からないけどね。

でも「鋼の錬金術師 FA」面白いから是非観てみて。

映画「第三の男」をバランス理論で読み解く

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先日、映画「第三の男」を鑑賞しました。

[作品解説]
『第三の男』(だいさんのおとこ、原題: The Third Man)は、1949年製作のイギリス映画。キャロル・リード監督作品。第二次世界大戦直後のウィーンを舞台にしたフィルム・ノワール。(略) 現在では映画史に残る傑作として、高く評価されている。映画ベスト100などの企画で、必ずと言っていいほど名前が挙げられる常連作品である。

[あらすじ]
アメリカの売れない西部劇作家ホリー・マーチンスは、親友ハリー・ライムから仕事を依頼したいと誘われ、意気揚々とウィーンにやって来た。ライムの家を訪ねるマーチンスだが、門衛はライムが前日、自動車事故で死亡したと彼に告げる。ライムの葬儀に出席するマーチンスは、そこでイギリス軍のキャロウェイ少佐と知り合う。少佐はライムが闇取引をしていた悪人だと告げるが、信じられないマーチンスはライムへの友情から事件の真相究明を決意する。

第三の男 - Wikipedia

正直、エンタメ作品としては面白くはなかったです。ファンの皆様すいません。でもクリエイターとしては勉強になる作品でした。

というのもこの作品を通してバランス理論が物語の創造において非常に重要なツールとなり得ることが理解できたからです

バランス理論とは

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バランス理論とは心理学の理論です

バランス理論は、P-O-Xモデルを用いて説明される[1]。

認知の主体である人を「P」、「P」と関係のある他者を「O」、認知の対象である事物を「X」と置く。「P」の「O」に対する認識、「P」の「X」に対する認識、そして「O」の「X」に対する認識の中で、好意的な物を「+」、否定的な物を「-」で表す。

「P」→「O」、「P」→「X」、「O」→「X」の3つの認識が全て良好である(全て「+」)場合や、3つの認識の中で好意的なもの(「+」)が1つのみであり、残り2つは否定的な(「-」)場合といった、3つの認識の符号の積が正である時、認知体系は均衡がとれているとする。一方で、3つの認識が全て「-」で表せる場合や、3つの認識の中で好意的なもの(「+」)が2つ、残り1つは否定的な(「-」)場合といった、3つの認識の符号の積が負である時、認知体系は不均衡であるとする。

認知の主体である「P」は、認知体系が不均衡である時、不快感を覚える。そのため、「P」は認知体系の不均衡を解消するために、「O」に対する認識、「X」に対する認識、「O」の「X」に対する認識のいずれかを変更しようとする。例えば、「P」→「O」と「P」→「X」が好意的、「O」→「X」が否定的である時、「P」は、他者「O」または事物「X」に否定的な認識を持つようになったり、「O」の「X」に対する認識を改めさせるよう働きかけたりする。どの方策が採用されるかについては、少ないコストで変化させやすいものが選ばれることが多い[2]。

wikipedia「バランス理論」より引用

ザックリ解説するとこんな感じです。

次の3つの認識について好意的なものをプラス、否定的なものをマイナスとする。

PさんのOさんに対する認識
OさんのXに対する認識
PさんのXに対する認識

この3つの認識の積がプラスならバランスが取れている状態。マイナスならバランスが取れていない状態。マイナスの場合は何れかの認識が変更されてプラスになるように働く。

「第三の男」におけるバランス理論

映画「第三の男」ではこのバランス理論が上手く導入されています。

※ネタバレがあるので要注意(実際に鑑賞してから読むことを推奨します)







映画の序盤では主人公ホリー・マーチンスはハリー・ライムという人物を親友として好意的に認識しています。そしてハリー・ライムの恋人であるアンナ・シュミットもまたハリー・ライムを好意的に認識しています。

そしてアンナ・シュミットはホリー・マーチンスに対しても好意的な認識を抱いています。つまりこの時点ではバランス理論上ではバランスが取れた状態となっています。(ホリー・マーチンスをO、アンナ・シュミットをP、ハリー・ライムをXとする)

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しかし、やがてホリー・マーチンスはハリー・ライムが悪人であることを確信。ハリー・ライム逮捕の為に軍に助力し、最後はハリー・ライムを殺害します。

殺害するくらいですからホリー・マーチンスのハリー・ライムへの認識はその時点ではマイナスに変わっているはずです。すると3者間のバランスは崩壊していることになり、何れかの認識が変更されることでバランスは自らを保とうとします。

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そして作中では次のような形でバランスが保たれることになります。

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そう、アンナシュミットのホリー・マーチンスに対する認識が好意的なものから否定的なものになるのです。その証拠に映画のラストシーンは次のような形で締めくくられます。

改めてこの“第三の男”の埋葬が行われた日、マーチンスは墓地の路傍でアンナを待つが、彼女は表情をかたくしたまま一瞥もせず彼の前を歩み去って行く。

wikipedia「第三の男」より引用

明らかにガン無視を決め込んでいる以上、アンナシュミットがホリー・マーチンスに好意的な認識を抱いているはずがありません。むしろ「マジであいつ嫌い」という否定的認識になっていると言えるでしょう。

このように「第三の男」はバランス理論通りに人が描かれており、かつ映画史に残る傑作とされている作品です。

この作品が脚本家をはじめとするクリエイターの勉強にならないはずがありません。

「第三の男」が教えてくれること

これは少し蛇足的な話ですが、私が「第三の男」を鑑賞して感じたテーマは「人間の好き嫌いという認識の脆さ」だと思います。私はこの映画のラストシーンを観て人の人に対する好き嫌いというものは第三者(或いは物)への認識を通して変遷しうる脆くて儚いものだと思いました

バランス理論というのはそれを抽象化したものだと思います。そして人の好き嫌いが脆くて儚いものであるからこそ物語における決別・すれ違い・葛藤などの感動のファクターは存在し得るのだとも思います。

バランス理論を上手く活用したキャラクターの心理の変化やその変化によって巻き起こる事象が感動へと繋がっていくのかもしれないなぁと思うのです。

と、締まりの無い文章だけど今回はここまで。

借金に苦しむ父親からリーダーとしてのあるべき姿を学んでいる

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60歳の父親が借金をまともに返せなくて苦しんでいます。金額は現時点で3000万円ほど。父親が父(私の祖父)の事業を引き継ぐ際に受け継いだ借金です。(我が家は代々個人事業主として商売をしています。)

私はそんな父を可哀そうに思うし楽になってもらいたい気持ちもあります。が、これをアンビバレントな感情と呼ぶのでしょうが、一方で父親のことをどうしても積極的に助けたいと思えないんですね。で、恐らくこうした思いを私だけでなく家族全員が抱えています。

では何故私が積極的に父親を助けたいと思えないのか?その理由についてアレコレと考えてみましたので書いてみます。

情報共有をしない

まず父は私たち家族に情報を共有しません。事業のキャッシュフローがどうなっているのか。借金は今誰に(どこに)いくらあるのか。こうした情報を共有しようとしません。

そしてお金が必要な当日になって母や妹や私に助けを求めてきます。(ちなみに私の家族は私から見て、父、母、私、妹、妹の5人家族であり、妹の一人は大学生で別居中。)

このような行動は父からすれば別に悪気のある行動ではないのだと思います。でも、私たちからすれば父のその行動は、無尽蔵にお金を求められるような不安な感覚に私たちを陥れるのです。

それ故に私たち家族はお金を積極的に出したがらないのだと思います。

ちなみにこれまでの人生で私は何回も「お金が必要なら当日ではなく事前に言え」と言っているし、父を尋問して借金の金額や内訳などを聞いたこともあります。だから多少状況は良くなってはいます。

ぜいたく品を止められない

父は酒とタバコをやめられない人間です。それは依存症という名の病気なのかもしれませんが、私からすると「頼むからやめてくれ」と思ってしまいます。

借金返したいと苦しんでいるのにぜいたく品を止めようとしない(或るいはできない)のは傍目から見ると行動として矛盾しているようにしか見えません

正直、そうした行動を見ていると「父君のために頑張ろう!」という気力はかなり削がれてしまいます。

頑張ろうとしない

率先垂範という言葉があると思いますがコレが父には足りていないなぁと常々思います。父はとりあえず借金に苦しんでいるので今が人生の踏ん張りどころだと思うんですが全然頑張ろうとしていません。

ちなみに商売人なので基本父は家にいます。また家にいる時は基本競馬をしています。そして本人は競馬は家計の足しにするためにやっています。(恐らく)

その心意気は良いと思うんです。でもそれを見て「うむ!我が親父殿は頑張っていらっしゃる!私も頑張って支えねばな!」となるわけがないんですね。だってやっているのはあくまでギャンブルだからです。

誠意が無い

父には誠意がないです。「お金を貸して欲しい」と言われて貸したことがありますが、約束の日に返してくれなかったことがあります。こうした誠意が無い行動をされると当然のように父に対する信頼感が無くなります。

信頼感が無くなると当然助けたいという気持も薄れてしまいます。この誠意の無さが、私の父に対する「助けたい」という気持を大きく削いでいます。

弱い部分を見せすぎる

個人的にはリーダーは弱いとこを見せることも大切だと思っています。でもそれが度を超してしまうと逆にそのリーダーを助ける意欲が削がれてしまいます。父は最近しきりに「金くれー」とか「もう嫌だ」とか大きな独り言を言っています。

これは父が精神的に追い詰められているところから来る行動だと私は思っています。だから父を責めるつもりはないですし同情もします。

でもやっぱり気分は良くないし助けたい気持が不可抗力的に削られているのも事実です。

※近いうちに病院連れていきたいなぁ。(でも提案しても「そんな金あるなら借金返済に充てさせろ」って言われるんだろうな)

感謝をしない

父は感謝をしないです。お金をあげても何してあげても「ありがとう」と言われたことがありません。やっぱり何かしてあげた時に「ありがとう」と言ってもらえないとその人の為に「次も頑張ろう!」とは思えなくなります

私の父を助けたい気力を削いでいる大きな原因になっています。

結論

で今回の結論。

父は我が家の借金返済におけるリーダーです。

そして私は父の上記の行動を見たり経験したりしてきた為に、リーダーとしての父を手伝おうという意欲が薄れてきてしまっているのです。

なので上記のことをしない、或いは逆のことをすることがリーダーとしてのあるべき行動であり姿なのかなぁと思うわけです

私はこの先何かのリーダーになる可能性はほぼ無いと確信しているのですが、もしなった時はこの記事で書いたことを参考にしてリーダーとしてあるべき人間になろうと思います。

ちょっと悪口っぽくなってすいません。でも父が嫌いなわけじゃないですよ。

ということで今回はここまで。